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「ヤンコー踊り」=中国語「秧歌」について

この踊は日本の盆踊りのようなもので、中国の主に東北地方の農民が豊作を祝って踊る、民衆の素朴な踊りである。
チャルメラや銅鑼・中国シンバルの音楽に合わせ、両手に赤や黄色の小さな布を持ち、左右に手を振りながら、3歩前進して1歩下がるというステップを踏む、簡単なリズムで誰でもすぐ覚えられる踊りである。
今でも何かお祝い事やお祭りの時に自然とみなが踊りの輪の中に入っていくということは中国東北地方の農村ではしばしばみられる光景である。
1931年9月18日に中国遼寧省瀋陽市柳条湖付近で旧日本軍が起こした鉄道爆破事件に端を発していわゆる「満州」の全面支配へと向かった日である。
この「秧歌」(yang ge)=「ヤンコー踊り」を踊る「日本帰国者連合会」の皆さんはいわゆる「残留孤児」の家族で構成された団体のメンバーである。
彼らの先祖は旧「満州」の開拓移民として中国に渡り、一時は現地での生活が幸せであった時期もあったが、旧日本軍が敗走したあと、現地に取り残されその後いろいろ辛酸をなめてきたひとたちである。
それから80年たって平和になった今日、再びあのような悲惨な戦争が繰り返されないことを祈念しての、喜びの踊りとしてのパフォーマンスとなることでしょう・・・・・・・。
長崎の「龍踊り」(じゃおどり)の伴奏楽器たち
「龍踊り」(長崎ではこう書いてじゃおどりと読みます)は長崎県の郷土芸能の代表格的存在です。
その歴史は古く,今から三百数十年前の鎖国時代に,幕府統括の唐人屋敷(実際には明国人)に住む華僑の方々から教わったとされ,その後時代とともに少しアレンジが加えられ,今の長崎龍踊りの形になり、グループごとにその踊り方に多少の違いがあります。
現在も長崎市の中心部にある館内町には,土神堂・観音堂・天后堂・福建会館といった4つの歴史的文化遺産が当時の面影を残したまま大切に保存されています。
五穀豊穣を祈る雨乞いの神事に始まったこの踊りは,玉使い1人と龍衆10人で操り,一説には,玉使いが振る金色の玉を「月」に見立て,稲妻が走り雷が鳴り響くなか,天を駆けめぐる龍が月を飲み込んで闇夜を招き,雨を降らせて田畑を潤し,多くの実りとともに人々へ幸せを呼び込もうとする様を表したものです。
「ずぐら」や「玉追い」と呼ばれる「静」と「動」,龍の感情を表現する尻尾の動き,長ラッパで奏でる龍の鳴き声,銅鑼で表す波濤の音,その他,平太鼓やパラパラといったすべて中国製の楽器を使い独特のリズムで表す雨や雷・嵐の雰囲気等,その見どころは様々です。
なぜ難波宮史跡公園なのか?
月の満ち欠けで月日を刻む太陰暦(正確には太陰太陽暦=中国では農暦)の8月15日に月をめでる習慣つまり「中秋節」は日本の「かぐや姫」伝説のもととなっている「嫦娥月に奔る」の4000年前の伝説により中国の伝統的なお祭りのひとつであり、いわゆる日本で旧正月といわれている「春節」に次ぐ大きなものである。
この中秋節は「団圓節」ともいわれ、家族友人との団らんを図るお祭りでもある。そこで京阪神の三つの華僑総会と西日本新華僑・華人連合総会の計4団体が中心となり実行委員会を組織し、昨年「中秋明月祭 大阪2009」を開催し、在日中国人だけでなく広く関西地区の日本の方々との融和を図るよう努めました。
しかし、なにぶん不慣れな素人集団の集まりであったため、実行委員会の意図するようなものが十分にお伝えできた祭りとは言えませんでした。
今年度は関西と中国の「和=輪をつなぐ」祭りとして、単に中国の伝統文芸や食文化を提供するだけでなく、広く祭りに来ていただいたお客様に体験型・参加型の祭りにするべくいろいろな催しを企画しております。
開催場所の大阪は中国との関係は千数百年もの古の昔より深いものがあります。とくに今回の会場となっている難波宮史跡公園は日本の中でも中国との関係の深い史跡と聞いております。
こうした歴史的に重要な史跡でこの「中秋明月祭 大阪2010」が今年も開催できることに私たち実行委員会全員は意義深さと喜びを感じております。
私たちは今年第2回目でありますが、この祭りが広く関西の、とりわけ大阪市民の皆様にも親しんでいただける恒久的な祭りに発展してゆけるよう祈念し、そのための努力を積み重ねてゆきたいと思っております。
そのため大阪市民の皆様のご支援をぜひともお願いしたいと思っております。
「中秋明月祭 大阪2010」実行委員会一同















